10月26日の3・4時間目、市役所文化財課の斉藤さんに再びお越しいただきました。6年生の総合的な学習の時間のゲストティーチャーとして、もう一度お話を聴くためです。
もう一人お越しいただいたのは、飯野地区在住で今年94歳になる飯野政富さんです。校長先生の御親戚で、昭和18年に20歳で召集され、戦争を体験されました。
前回の学習では、戦争を日本国内で体験された深沢さんのお話を聴きました。それから日本が経験した戦争について学習を進めてきましたが、その中で疑問に思ったことや知りたいことがたくさん出てきました。そこで実際に兵隊として戦争を体験された方にお話しを聴こうと考え、斉藤さんと飯野さんにお願いしてお越しいただいたのです。
斉藤さんから、飯野さんが兵隊として経験された大平洋戦争の歴史について説明を聴いたのち、飯野さんから昭和18年当時の様子についてお話を聴きました。飯野さんは鋳物産業の盛んな埼玉県川口市で働きながら、東京都赤羽にあった中学校の夜間部に通われたそうです。卒業した後、亡くなったお父さんの後をつぐために実家に帰ってきて、農業をされていたそうです。
昭和16年12月に太平洋戦争が始まった際、すでに日本は日中戦争の真っただ中でした。しかし日中戦争はまだ遠い世界の出来事のようで、それほど関心はなかったそうです。しかし新聞でアメリカ、イギリスと戦争になった、という事を知って、えらいことになったな、と思ったそうです。
その当時は20歳になると徴兵検査を受け、2年間の兵役につかなければなりませんでした。昭和18年、小笠原小学校で徴兵検査を受け、甲種合格となった飯野さんはすぐに甲府連隊に入営しました。飯野さんと同じ区内からは3人の同級生が一緒に入営したそうです。
入営の日には地区の人皆が見送りに来てくれました。お母さんは涙は見せず、がんばって行ってきなさい、とおっしゃったそうです。叔父さんだけが、「(お父さんが亡くなっていたので)お前が家を継がなきゃならんのだから、生きて帰ってこいよ」とおっしゃったそうです。
3人は南方に、飯野さんは中国に行くことになりました。窓がふさがれた汽車に乗って北九州まで行き、船で対馬海峡を渡りました。そして韓国プサンから汽車に乗り、ついたのは北京郊外の町。中国東北部、満州と呼ばれていた地域です。
そこは-20度にもなる(それでもまだ温かい方だったそうです)、厳しい環境でした。でも裏地のついた軍服が支給され、食料の配給もあったそうです。戦況の変化で、そこから中国南部、長沙に移動することになり、1000キロ近い道のりを今度は歩いて移動したそうです。体の小さかった飯野さんは先頭で、後ろから追い立てられるようにして重い荷物や銃を担ぎながら歩いたそうです。
移動の途中には非常に悲惨な光景にも出くわしたそうです。昭和20年8月、中国南部で終戦を迎えました。それまでは戦争で戦って死ぬことが当たり前だと思っていました。しかし戦争が終わったと知って、これは何としてでも生きて日本に帰らなければ、と思ったそうです。けれどもすぐには日本に帰ることはできませんでした。現地の中国人の方にお世話になって仕事を手伝ったり、マラリヤになって入院したり、病気が治った後も病院に残って仕事を手伝ったり・・・。そんなことをしていて日本に帰ることができたのは昭和21年7月だったそうです。
お母さんは涙を流して喜んでくれました。しかし、一緒に兵隊となり、南方に行った同級生3人はみな亡くなって、帰ってきませんでした。飯野地区で同級生が10人、戦死されたそうです。
自分だけが生き残って日本に戻ってくることができて、どんな顔をして亡くなった同級生の家族に会えばいいのか。3人が亡くなったということを知って、そんな思いを感じたそうです。しかし、亡くなった人たちのぶんも頑張って、地域のために働こう、という気持ちもまた持たれたそうです。それから80歳になるまで毎年、戦死した同級生のお墓参りを、生き残ることのできた同級生皆で続けて来られたそうです。
飯野さんのお話はとても分かりやすく、94歳になるとはとても思えないしっかりとされた声で、子ども達は真剣に聞き入っていました。本を読んだり、インターネットで調べたりしただけではわからない事がたくさんわかりました。何より実際に経験された方のお話はとても印象深いものでした。飯野さんは子どもたちの質問にも答えてくださり、斉藤さんと一緒に1時間30分にもわたる長い授業を6年生のためにしてくださいました。
命は大切です。自分の命を大切にしてほしい。ルールを守り、友達と仲良くし、なんでも話し合えるような関係を作ってください。最後に飯野さんはそうおっしゃいました。今日教えてくださったことはきっと、6年生の心の奥底に響いたと思います。長い時間にわたってお話しくださり、さぞかしお疲れだったと思いますが、とてもよい学習ができました。ありがとうございました。